学園紹介

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麹町学園を動画でご紹介します(2015年春)

こうじまち学園歴史アルバム

1905 - 1949

 創立者・大築佛郎は父・大築尚志、母・茂登の四男として1879年(明治12年)2月23日、東京小石川新諏訪町で生まれた。佛郎は東京高等師範学校(現筑波大学)付属小学校、同中学校から第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学科に進んだ。
 学究の道を歩む一方、かねてより女子の地位の向上と女子教育の重要性を痛感していたところから、また、「父の遺志」を生かすことにもつながることとして、1905年、全財産をなげうって麹町女学校を創設した。

創立者 大築佛郎

 1905年(明治38年)9月12日、麹町女学校創立。校地は現在地である麹町区元園町2丁目4番地に得た。歩いて数分の元園町1丁目(英国大使館裏)には津田梅子が1900年に女子英学塾を開いている。創立時の校舎は、1902年まで実践女子学園の前身である実践女学校が使用していたものであった。1908年4月1日、文部大臣の認可により、麹町高等女学校となった。
 1914年(大正3年)4月1日、「従来ノ経験ト現今中流家庭ノ状況トニ鑑ミ」5年制課程を4年制課程に変更した。1920年、和服の制服が定められた。これまでは、袴の色だけが決められていて、1・2年は海老茶、3・4年は紫であり、和服の袂の長さは最長1尺8寸(59.4センチ)に限定されており、黒の編み上げ靴を履いていた。制服の制定により、冬の和服は紫紺色、羽織も同色。その裏地は1年が赤、2年は桃、3年は緑というように細かく決められた。

 大正期の年中行事として、毎年11月頃に開かれるバザーと敬老会があった。
 バザーは生徒たちがハンカチ・人形・琴の爪入などを作って販売するものだが、創作的なものが多く好評であった。
 有名な「羽根ゲーム」を始めたのもこの頃。箱庭のような無風状態の校庭を利用して10人1組になって行う団体競技で、大築校主と体操担当の牧野美忠教諭との考案によるものであった。ネットを張って行い、今のバドミントンによく似ている。

第1回卒業生と教師陣
当時の授業風景(理科)

 1930年(昭和5年)10月、校舎改築が行われ、ロの字形校舎の西側と南側が新しくなった。この校舎が「風見鶏」のついた時計台があるモダンな木造校舎である。
 1935年、夏期施設が初めて設けられ、夏期寮と呼ばれた。箱根、那須、蓼科などと毎年場所を変えて行われ、期間は1週間から10日間、希望者は毎年100名内外であった。夏休みのレクリエーションとして生徒に喜ばれたが、その頃の日課表をみると、宮城遥拝、万歳三唱などが織り込まれており、戦争の近づいていることが感じられる。
 1940年、2年前に購入した180坪(現アネックスの所)に100坪の講堂が建設された。
 1945年5月25日、5発の焼夷弾を受けて本校は全焼。関東大震災以来増築を重ねてきた校舎をすべて失った。しかし、1937年に完成した鉄筋校舎は外側が焼け残り、これが学園復興の大きな力となった。
 1948年、普通教室・校長室・事務室等が増改築され、窓ガラスも入るようになった。また、西側隣接地200坪を購入し、運動場が拡張された。
 1949年、コンクリート校舎の大改修(作法室・割烹室・地下室など)が施され、北側に木造2階建て校舎4教室(144坪)が建築された。
 1950年、北側に木造で上下2教室と図書室が増築され、運動場400坪の大整地が実施された。

 こうして、この年の45周年記念式典までには校庭をL字に囲む校舎の形が整った。

 1947年、新学制によって学校の組織替えが行われ、4月1日より新制中学校として麹町学園女子中学校が設置された。1948年4月1日には新制高等学校として麹町学園女子高等学校が設置され、同時に、財団法人麹町高等女学校は財団法人麹町学園に改められた。1948年10月、旧後援会に代わってPTAが発足した。高等学校においては、新教育の趣旨に則り、1948年いち早く選択教科制を導入、進学コース・家庭コース・就職コースの3コース制に対応した教育課程を編成した。また、ホームルーム、クラブ活動など教科外の教育活動も始まった。中学校においては、本校高等学校進学を前提とした一貫教育を念頭に置いて、教育課程を編成した。

校舎増築の記念写真(生徒全員が集合)
当時の授業風景(洋裁)
休憩時間中にくつろぐ岩淵初代校長と大築校主
校庭での羽根ゲーム
当時の授業風景(1941年)
  • 和服での遠足(長瀞)
  • 報知新聞主催の羽根ゲーム大会に優勝した選手たち(1936年)
  • 中庭での卒業式(1916年)

1985 - 2004

 1985年の夏、80周年を記念して、校舎内壁面の全面改装および床の張り替えが行われた。床は従来のPタイルからロンリウムに張り替えられ、各教室のカーテンも不燃性のものに改められた。
 1985年10月24日、講堂で創立80周年記念式典を挙行した。午前は在校生を対象に、午後は来賓、保護者、同窓会、後援会などの方々を招いて実施され、午前の式典では生徒全員による「大地讃頌」の合唱、午後の式典では高1・高2・高3の生徒による「天地創造」の合唱が行われた。
 1986年9月、東京体育館改修工事のため、駒沢球技場において体育祭が開催された。以後、1990年まで5年間は駒沢球技場において体育祭が開催された。屋外グラウンドのため、雨天による中止など実施には様々な苦労が伴った。
 1989年(平成元年)11月、正規のバスケットコートがとれるフロアを持つ体育館が完成した。地形の関係や近隣への配慮から、大部分が地下となり、12メートル掘り下げて建設。1階に教官室、トイレ、シャワー室、クラブ部室などの設備が設置され、クラブ部室が特に広くなった。屋上は校庭にしてネットで覆い、近隣に配慮しつつ有効利用できるようにした。
 1989年11月25日、新体育館落成記念式典が行われた。来賓約120名(区内公立・私立学校関係・建設業者関係・3団体等)とクラス代表生徒が参加。第一部(式典)の後、第二部では本校ダンス部・新体操部の模範演技、日本体育大学学友会体操部による体操演技、サチ・コヤマによるジャズ・バレエが披露された。
 1990年9月29日、85周年記念音楽会が開かれた。この音楽会は「85周年の記念に、毎年の音楽鑑賞教室に生徒にも参加してもらって、お祝いの会にしよう」という校長の発案から、計画されたものである。保護者にも聴いていただくため、会場は2,000人収容できる日比谷公会堂を借り、演奏は家田厚志氏指揮のN響団友オーケストラにお願いした。その後、思いもかけず世界的バイオリニストの海野義雄氏が特別出演に応じて下さることになった。

 1991年6月、新装の東京体育館で体育祭を実施。旧体育館改装のため、5年間は駒沢球技場での屋外体育祭が続き運営に苦労したが、新体育館では、大型の電光画面を利用した、より華やかな体育祭が可能になった。
 1994年7月、本校舎北西の旧体育館跡地に、地上3階・地下1階の多目的設備を持つ新校舎「アネックス」が完成した。地下にLL教室、1階にコンピュータ室、2階に演習室、3階に体育室が配置され、2階の演習室はAV機能を持ち、染色等の実習にも対応できるよう設備されている。1995年10月7日・8日の2日間、校内で90周年記念の学園祭が行われた。特色ある展示内容にするため、7月に各クラスより委員を募集して90周年委員会を設け、「制服・模型・歴史」の3班に分かれて準備・製作に取り組んだ。「制服班」は戦時中のモンペ服や戦後のセーラー服を復元し、現在の制服や理想の制服についてのアンケートを行った。「模型班」は昭和初期の鉄筋と風見鶏校舎が並ぶ様子を模型で製作・「歴史班」は学校の歴史と歴代校長の似顔絵を展示した。学校から提供された二十数枚の大型パネル写真等も展示され、90年の歴史を偲ぶものとなった。

80周年記念式典(1985年)
駒沢球技場での体育祭(1987年)
  • 80周年記念式典(1985年)
  • 工事前の校舎

2005 - 2014

100周年記念体育祭での「こきりこ」と「麹町音頭」

 1995年10月26日、講堂で創立90周年記念式典が挙行された。午前は在校生を対象に、午後は来賓、保護者、同窓会、後援会等の方々を招いて実施され、午前の式典では生徒全員によるパッヘルベルの「カノン」の合唱、午後の式典では高校生による「地に平和を」の合唱が行われた。2000年4月、高等学校で総合進学コース・英語進学コースの新コース制度が始まった。
 2000年7月、講堂・校庭部分から新校舎建設工事が始まった。
 2002年2月末、地上7階・地下1階の斬新な新校舎教室棟が完成。4月より新校舎に移行し、旧校舎の取り壊しとメディアモール棟の建設が始まった。

 2005年度は、百周年を記念して様々な行事が行われた。 4月26日、東京芸術劇場で行われた音楽鑑賞会で、音楽を学んでいる高校生全員約200名が舞台に上がり、オーケストラの演奏でエルガー作曲の「威風堂々」を歌い上げた。
 6月27日、東京体育館で行われた体育祭では、昔懐かしい「麹町音頭」が再現され、この日のために練習を重ねてきた約90名の生徒と教職員・同窓生が浴衣姿で踊りを披露した。10月1日・2日は学園祭。百周年を記念した企画が数多く盛り込まれた。生徒会の呼びかけによるキャンパスソングの作成。戦前の羽根ゲームを再現したクラス対抗戦、「十年後の私」というテーマの全校生徒寄せ書きを埋め込んだ「100th - Anniversary Kojimachi Gakuen」のモニュメントなど。そして中心は「百周年委員会」による「麹町ヒストリー」の展示であった。学園の歴史、歴代の制服、旧校舎の模型などを展示したが、旧校舎の模型は昭和初期の「風見鶏の校舎」と5年前まで使われていた「かまぼこ屋根の校舎」を精巧に再現してみせた。

 式典後の11月25日には、校長先生の提唱による合唱祭が、クラス別全員参加の合唱コンクールとして行われた。
 コンクールは、課題曲のキャンパスソング「麹町物語」と各クラスが選んだ自由曲の両方を併せて進められた。
 結果発表の前にコーラス部および審査の先生方の演奏があり、最後は課題曲「麹町物語」の全員合唱で大いに盛り上がった。

合唱祭(2005年)
新校舎落成記念式典と祝賀会
100周年記念式典
  • 現在の校舎
  • 現在の校舎
  • 現在の屋内プール
現在の校舎