「麹町学園百十周年記念式典にて」

10月31日、穏やかな秋晴れの1日、麹町学園の百十周年の記念式典が挙行されました。

麹町学園の生徒の皆さん、保護者の皆さん、素晴らしい歴史の1ページをありがとうございます。

この日を共に迎えることができた喜びは、ひとことでは言い尽くせません。

生徒一人一人が力を合わせて作り上げた催しの今年の学園祭では、若い皆さんに、この時代を生き抜く勇気と力をたくさん分けていただきました。

これもまた、麹町学園110年の歴史のワンシーンですね。

ここで、皆さまと一緒に麹町学園の歴史を少し振り返ってみたいと思います。

麹町学園は、1905年(明治38年)、私の祖父、大築佛郎が創設して以来、この地に根ざしてきました。

「女子教育の必要性」という祖父の大志は私の曽祖父の大築尚志から引き継いだものです。

大築尚志は、当時、学問の盛んであった佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)の藩士として生まれ、蘭学を学び、幕府の「蕃書調所」という洋学研究の最高機関に派遣されました。維新後は明治政府の高官を務めます。

その折、同じ佐倉藩出身の津田仙(津田塾大学の創立者である津田梅子の父)と深い親交があり、ともに近代日本における女子教育の重要性を論じ合ったそうです。

大築佛郎は明治12年に、尚志の長男として、東京、小石川に生まれました。私の母方の祖父になります。

佛郎もその才を父尚志から受け継ぎ、東京帝国大学に進み、一時大学で教鞭をとり、地質学の研究で成果を上げていました。

しかし、かねてより日本近代化のための女子の地位の向上とその教育が、欠かせざる重要な課題であることを深く理解していた佛郎は、そこに安住せず、1905年(明治38年)、全財産をなげうって私立麹町女学校(現麹町学園)を創立しました。

「教育は、男子だけのものではない」。

大築佛郎26歳の時です。

麹町学園の全ては110年前のその時から始まり、そして今日に至っています。

建学の精神のひとつ「良妻賢母」という言葉は古めかしいということで現代風に「聡明・端正」と表現を置き換えました。

現在の麹町学園の教育ビジョンは「豊かな人生を自らデザインできる自立した女性を育てる」ということです。

麹町学園創立初年度の生徒は14名でした。

生徒数は次第に増加し、それに伴って段階的に木造校舎を拡張しますが、その校舎も1923年9月1日の関東大震災で全焼します。

その後は教職員他、多くの方が復興の努力を重ね、1937年に鉄筋の校舎が建てられました。

しかし、太平洋戦争が始まり、生徒たちは学徒勤労動員に駆り出され(工場で兵器部品の縫製をさせられたようです)、授業を離れざるを得ませんでした。

そして、1945年5月25日、東京大空襲で校舎は一部の壁面を残して損壊しました。

大戦直後には、かき集めた机や椅子などを使って授業が行われました。

日々、仲間たちの安否を按じながら、無事の再会を喜び合ったそうです。

きちんとした授業も難しい不自由な環境の中、教職員達の努力により、1947年、中学が併設されました。

そして、日本の復興と共に本学園も歩みを進め、2003年に念願の新校舎が完成しました。採光と空間、耐震構造の建物です。

明るい環境のもと、勉強できるということは今は当たり前なのですが、多くの関係者の方々のこれまでの献身に改めて、感謝をしたいです。

110年間に送り出した卒業生は総数26,000名に及びます。

それぞれが家庭人として、また企業人として立派に社会生活を送っていることは、誠に喜ばしいことです。

私が11代目の理事長となったのが2006年です。

誠に重い歴史を背負い、緊張を覚えましたが、私に課せられたものは、未来に向かっての本学園の姿を示す事です。

時代は常に、決して安易には越えられないハードルとともに様々な姿で現れ、否応なく変わって行きます。

しかし、その現実がいかに艱難辛苦であろうとも、「越えられない」事は無いのです。

生徒の皆さんの人生もそうです。

今は周りの人々、先生方に守られて生活していますが、やがて社会に出ると厳しい現実にも出会うでしょう。

ハードルを乗り越えながら、たくましく生き抜いてきた先達、先輩たちを見習い、麹町学園の未来を共に築いて行きましょう。

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