理事長ブログ

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  • 「今日から2学期」

    今日から2学期がはじまりました。

    始業式で校長は“二度と戦争の無い平和な社会を”という話をされました。
    私はその話を聞きながら、住友商事のイラン支社長をしていた約30年前のことを思い出しました。

    毎日、毎晩イラクによるスカッドミサイルの攻撃の最中ですごしました。
    空襲警報がラジオで流されると、ヘルメットをかぶって地下室に避難するのですが、8、9分で着弾するか、警報解除となるかといった緊張の日々を送っていました。

    ちなみに今、北朝鮮が装備しているのはその改良型もあり、もっと高度なミサイルの開発にも成功していることは周知の事です。イランに駐在する前、イラクのバグダッドに石油の契約のために出張した時には逆にイランが攻撃したスカッドミサイルも体験し、その破壊力を目のあたりにしました。

    その時の経験やUSJでの安心安全対策が、麹町学園にきてから、防災の体制作りに役に立ったと言えます。

    災害は決して来てもらいたくはないけれど非常時に備えての対策をきちんと考えておくことは平時だからこそ必要です。

    始業式のあとに、バイリンガルコメデイアンの“かおり”さんが全校生徒に話をしてくれました。
    国内、海外でも活躍してきましたが、文字通りグローバルな人です。
    英語もさることながら、何を話すかしっかりと自分自身の考えをもつことの大切さも語ってくれました。

    放課後に7階から地下のアリーナまで歩いてみましたが、部活動が各所で行われていました。

    学園祭の準備などイベントの多い2学期です。
    秋の夜長ですから、生徒たちはもちろん、勉強にも時間を割いて、充実した生活を明るくのびのびと過ごせればよいなと改めて感じました。

    健康第一ですね。

  • 「マルチナ先生行ってらっしゃい!」

    外国語指導助手(ALT)として一昨年カナダから麴町学園にきていたマルチナ先生は新しい人生の道を歩むことになり、間もなくカナダへ帰国されます。

    生徒の間ではもちろん、先生達にも人気が高く、皆が引き続き麴町学園で教えてほしいと願っていたのですが・・・。

    170626マルチナ先生マルチナ先生がちょうど着任された時期に完成した、3階のインターナショナルラウンジに常駐してくださり、ランチタイムや放課後に生徒達とコミュニケーションをとったり学校説明会にも参加してくださいました。

    もう一人のALTでアイルランドから来られたキット先生と、そして安河内先生のデスクもこのインターナショナルラウンジにあります。

    マルチナ先生はアートにも興味があることから、ラウンジのインテリアについて、また、その運営についてもアイデアと工夫をしてくださり、おかげでこのラウンジはとてもポップな空間となりました。

    教室とは違った明るい色使い、壁にかけてあるポスターやアートなど異次元の空間は訪れる生徒達にとっても楽しい気持ちになれる場所です。

    また、茶道、華道の授業にも生徒達と一緒に受講するなど、私の目からみてもその積極性、自主性は尊敬に値するものでした。

    此の度帰国が間近になり、恒例の七夕パーテイ―でマルチナ先生のお別れ会も開催しました。

    ラウンジには大勢の中学生、高校生が詰めかけて賑やかにゲームなどをして別れを惜しみました。

    マルチナ先生は具体的な将来計画のお話を聞いていませんが選択肢の一つとしてもしかして日本にもどる可能性もあるようです。

    BON VOYAGE!

    マルチナ先生いってらっしゃい!

    麹町学園へのお帰りを心待ちに、先生のご活躍をみなで祈っています

  • 「ハナミズキ」

    ハナミズキ

    麴町学園通りに面した植栽に薄紅色のハナミズキの花が咲き誇っています。

    “ハナミズキ”は1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄がアメリカのワシントンに桜の樹を送ったお返しとして、1915年にアメリカから日本に送られたという話が有名です。アメリカではノースカロライナ州とバージニア州の花になっています。

    さて1970年から6年住友商事のニューヨーク事務所に私が駐在していた時のお話です。私はニューヨークから飛行機で3時間ほどの、ラーレイ市によく出張していました。アメリカ企業とは肥料原料のリン鉱石の取引をしていましたが、積み出しはモアヘッドシテイーという港より、そしてその窓口部門はノースカロライナ州の州都のラーレイ市にあったことからです。

    これは大規模な商談でしたが、他方、日本向けのチキンや欧州向けのウナギの輸出などの取引をした会社があったことも思い出しました。

    ノースカロライナはアルコール飲料についての規制が厳しい州のひとつでした。お酒は“リカーライセンス”を持っていれば,街のリカーショップで買えたのですが、レストランなど外食店でのアルコールの提供は制限されていました。

    この制限に対応して”ブラウンバッギング“と呼ばれていたレストランで飲酒ができるという方法がありました。簡単に言えば持ち込みOKのレストランです。自分の好みのお酒(ウィスキー、ジン、ウオッカなど)のボトルを茶色のペーパーバッグに入れて持ち込み「セットアップを」とウエイトレスに頼むと、氷や水、グラスをだしてくれるというあんばいです。

    またノースカロライナ州は東海岸にあって、ラーレイ市の近くにはパインハーストという歴史的にもゴルフで有名な地域もあります。ゴルフ場には随所に、そして取引先の重役の邸宅にもハナミズキが植えられていました。

    美しいハナミズキの花を見ると当時の思い出がよみがえります。

    ツツジやがてハナミズキの足元に咲き始めたツツジの花に主役を譲る頃です。

    こうして道行く人々にも彩りと癒しを与えてくれる花々に見守られて、麹町学園では今日も生徒たちが元気に学んでいます。

  • 「St. Patrick’s Day に思う」

    去る3月17日、駐日アイルランド大使のご招待で St. Patrick’s Day に因んだ「アイルランドの夕べ」のレセプションに出席しました。

    アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックの命日が3月17日で、国の祝祭日です。

    この日は国際的にもいろいろな都市でシャムロック(下記注参照)を身につけたりして、ゆたかな大地アイルランドを象徴する「緑色」一色でお祝いをします。

    今年は日本とアイルランドとの国交樹立60周年の年にあたります。

    60年前といいますと、私は16歳のその夏にAFSの留学生としてアメリカへ旅立ったことも思い出されます。

    アイルランドの交流校

    今年の10月に麹町学園は中学2年生が初めてアイルランドに修学旅行に行くこととなり、まさに記念すべき年となります。

    生徒たちは、感受性の鋭いこの時期に海外の空気に触れ、多くを学びとってくれることと、自分の経験からも容易に想像できます。

    レセプションの入り口でバリントン大使にご挨拶しましたが、

    “秋に麹町学園の生徒がアイルランドに来るのを楽しみにしています。お隣同士ですからね”

    と暖かいお言葉をいただきました。

    アイルランドの大使館が麹町学園のすぐ近くにあることを言ってくださったのでしょう。

    当日は、アイルランドの料理や、名物のギネスビールなどでおもてなしいただいて、楽しいひと時を過ごしました。

    生徒達が素晴らしい体験をして思い出をお土産にもどってくれるのを心待ちにしていたいです。

    6月にはアイルランドのラグビーチームが来日して、日本代表との親善試合をするのも今から楽しみです。


    【注】シャムロック

    アイルランドのシンボル シャムロック(英: shamrock)は、マメ科のクローバー(シロツメクサ、コメツブツメクサなど)、ウマゴヤシ、カタバミ科のミヤマカタバミなど、葉が3枚に分かれている草の総称。アイルランド語でクローバーの意味の seamair または、若い牧草を意味する seamróg を、似た発音で読めるように英語で綴った語である。
    アイルランドで432年ごろに聖パトリキウス(パトリック)は「シャムロックの葉が3つに分かれているのは「三位一体」を表しているのだ」と説明し、キリスト教の布教に使ったと言われている。

    [ウィキペディアより]

  • 「百花繚乱」

    新年は穏やかなお天気にめぐまれました。2017年成人の日

    1月9日の成人の日

    2年前に卒業した新成人たち110人が麹町学園に帰ってきてくれました。

    あでやかな晴れ姿はまさに百花繚乱!

    ご家族のみなさまもさぞお慶びのことでしょう。

    麹町学園では、同窓会が準備してくださったお茶と軽食で新成人を迎えることが今では成人の日の恒例行事となりました。

    当日午前中は雨模様でしたが、午後には雨も上がり、晴れ着を汚す心配もなく過ごすことができました。

    新成人の卒業生は私が校長を兼務していた時に入学して、6年後、2回目の校長兼務のときに卒業証書を手渡した生徒達です。

    入学してきた時は幼さを残していた生徒の成人した姿を見て私も感無量となりました。

    日本の新成人の人口は123万人との推計となり、新成人の数は去年2016年と比べると2万人増えたということです。

    それは喜ばしいことですが、昨年に続き7年連続で総人口に占める新成人の割合が1%を割り込むことも確認されているそうです。

    新成人は日本という国の未来を担う大切な宝物でもあります。

    学園のカフェテリアでの彼女たちのおしゃべりの様子がまた圧巻で、友達同士はもちろん、ひさしぶりに会う恩師ともすぐにうちとけて話が弾んでいました。

    学校という場に身を置くものとして、このように将来有望な若人たちの成長を見守ることができる喜びを改めて感じた成人の日です。

    私は「また、いつでも麹町学園に帰って来てください」と声をかけて卒業生を見送りました。

  • 「趣味をもつこと ~私の健康法(4)~」

    【麹町学園だよりに掲載の内容を一部変えてお伝えします】

    私は、高校時代から鎌倉のテニスクラブにはいり、硬式テニスを60年近く続けています。

    アントワープオリンピックで日本人として初のメダルをダブルスで獲得した熊谷一弥さん、柏尾誠一郎さんも当時同じクラブにいらして彼らともプレーをしたことがあります。

    彼らはおそらく80歳を超えて、85歳頃までプレーされていたと記憶しています。

    ゴルフもそうですが、結果だけを求めるのではなく、スポーツを楽しむことが向上心につながり、精神力を高め、年を重ねては活力の源となると考えられます。

    麹町学園の体育祭で私はいつまでも走れるよう頑張りたいという気持ちを持ち続けたいものです。

    また私は母が大学で声楽を専攻していたことから、小さい時から音楽に親しんでいました。

    楽器はピアノのレッスンを受けましたが、小学校4年の時に、バイエルの途中でギブアップしました。

    高校から大学時代にかけてモダンジャズを聴くのが趣味になりました。

    アルトサックスのチャーリーパーカー、テナーサックスのスタンゲッツ、トランペットのマイルスデイビス、ピアノはレッドガーランド、ボーカルはクリスコナーなど好きなプレーヤーは大勢いました。

    アルバイトをしたお金でレコードをコツコツ買い集めました。

    たまにカラオケでジャズを歌いますが、これを趣味と言えるかは疑問です。

    ただ、英語、ベトナム語は歌で覚えたといってもいいでしょう。

    今麹町学園では安河内先生のご指導で英語について実用4技能の力をつけることに取り組んでいます。

    英語に限らず、外国語を覚えるのに“歌”を歌うのは有効な手段だと自分の体験からも言えます。

    肩肘を張らず、様々なことにチャレンジして趣味をもつと日々の生活に彩りが生まれそうです。

  • 「友人と交流すること ~私の健康法(3)~」

    【麹町学園だよりに掲載の内容を一部変えてお伝えします】

    友人は人生のかけがえのない財産です。

    特に利害関係のない学生時代の友は貴重です。

    先日小、中のクラス会がありましたが、私の苗字は相川で50音順の出席簿ではいつも一番でした。
    そのこともあって数十年ぶりに会う友人も私のことを覚えていてくれました。

    この年代になっても、かなりの仲間が鎌倉、逗子方面に住んでいます。
    昔話に花が咲いて楽しいひと時をすごしました。

    高校は1年間留学したので、休学扱いとなり、おかげで、友人が1学年分ふえました。
    顔や名前は覚えていてもどちらの学年だったか、思い出せないこともあったりするほどです。

    大学のゼミの仲間とは卒業以来毎月一回食事会をしていて、それが今でもつづいています。
    みな酒量は減りました。

    他方、仕事を通じて親しくなり、お互いに現役を退いてからもお付き合いをしている人もいます。

    いろいろな人たちとの交流を通じてさまざまな情報や知識が得られるのですから、脳にも刺激となり、心身の若さを保っています。

    現代社会はSNSが普及してひととの交流が希薄になったと言われます。

    麹町学園の生徒達には、自分の時間がたっぷりある学生時代にこそ多くの出会いに恵まれ、人生を豊かに過ごしてほしいと思います。

  • 「時間管理を身につけること ~私の健康法(2)~」

    【麹町学園だよりに掲載の内容を一部変えてお伝えします】

    私は、子どもの頃から早寝早起きの習慣が身についていたので、社会人になってからも、朝早いのにはあまり抵抗がありませんでした。

    出勤はゆとりをもって早く、また、営業では客先に夜討ち朝駆けをするという先輩の指導をうけました。
    海外の重要なニュースを朝早くキャッチし、情報として客先に届けてよく喜ばれました。

    東南アジアと日本は時差がほとんどないので出張も苦になりませんが、中近東だと6時間前後、欧州は8~9時間、ニューヨークなど東海岸は13~14時間、サンフランシスコがある西海岸は17時間も時差がありました。

    しかし時差ボケを理由に商談に遅れをとれません。
    現地時間に合わせての生活におのずとすぐ順応することが求められました。

    住友商事勤務の後半は原油の取引をする仕事をしていました。
    原油は国際商品ですから、相場は24時間です。朝早くから夜遅く、夜中など国際電話でやり取りをすることが日常でした。

    さすがに今は時差の壁がきついものになりました。

    居眠りも含めてどこでも寝るのが特技という人がいますが、どうやら私もそのひとりのようです。
    寝つきと寝起きがいいのですね。

    10分でも寝たり、まどろんだりするだけですぐに体力回復する術も社会人になって身につけたものです。

    ONとOFFのスイッチをきちんとしてすきまの時間を有効に使うこと、これを身につければ生活リズムも整います。

    麹町学園の生徒達には集中する勉強の時間、ゆっくり過ごす遊びの時間と日々を楽しんでもらいたいものです。

  • 「よい生活習慣を身につけること ~私の健康法(1)~」

    【この秋、麹町学園だよりに掲載の内容を一部変えてお伝えします】

    世の中には年を重ねてからもいきいきと生活している人がいます。

    そういう人は共通してそれぞれ良い生活習慣を沢山身につけています。

    私がこの年まで大病をせず元気で暮らしてこられたのも、やはり生活の中できちんとしたしつけをしてもらったことに拠るところが多いと今改めて両親に感謝しています。

    昭和16年に相川家の次男として生まれた私は鎌倉の横浜国立大学付属小学校中学校で少年時代を送りました。

    中学3年まで、年中、坊主刈り、半ズボンですごしました。

    冬になると、手や足にはあかぎれやしもやけができて、お風呂に入ると浸みて痛い思いをしました。

    戦後で物資が不足していたことから、広くない我が家の庭を畑にして、トマト、きゅうり、茄子、イチゴなどを栽培していました。

    また、山羊と鶏も飼っていて、畑仕事の手伝いに加えて、家畜の世話は亡き兄と私の日課でした。

    鶏の餌はフスマに大根の葉を刻んだものに、卵の殻によいのだからと、貝殻を小さく砕いたものを混ぜたりしたものです。

    これらの経験から大地からの恵みをいただくという「食育」を自然な形でされていたのだなと思い返されます。

    12人兄弟の7番目の父は、大家族の中で食事はいつも全員一斉に「いただきます、ごちそうさま」と言うように育てられたそうで、我が家もそれがしきたりでした。

    好き嫌いをしてはいけないとも教わり、食べ残すことはめったに許されませんでした。

    人参が苦手な私に「嫌いな人参を毎食出して食べられるようにした」という乃木大将のお母さんの話をよく引き合いに出されたものです。

    高校生になって、アメリカに留学したホストファミリーのところで、生の人参がでてきて、塩や、デイップをつけたりして頂き、人参とはこんなおいしいものだったのか、と再認識をして、それ以来むしろ好んで食べるようになりました。

    私はまた、あまり間食をしません。

    朝食は6時頃、お昼は12時前、夕食は6時頃を目途としています。勿論お仲間次第ですが。

    このような食事習慣のおかげで、社会に出て総合商社に勤務し、ニューヨーク、テヘラン、ハノイでの駐在、また、さまざまな国に出張や長期滞在などした時にも、その国の料理を口にするのに、さほど抵抗感がなく生活できたことも両親に感謝しています。

    モスバーガーの櫻田社長にお願いをして、麹町学園の中学1年生の授業に食育を取り入れたのも、麹町学園の生徒のみなさんに日々の食事について考え直すきっかけになれば、また、その体験が家に帰って家庭内での話題になってくれれば、との思いからのことでした。

  • 「DAY BY DAY」

    DAY BY DAY

    7月20日は1学期の終業式でした。

    山本校長は、挨拶の中で“ひとつひとつの積み重ねが、大きな結果につながる”というイチロー選手の言葉を引用されました。

    ビジネスの世界と学校生活はかけ離れていますが

    つい私は企業で仕事をしていた時のことを思い出してしまいました。

    私がUSJに居た時、マーケテイング本部長のMR.エルダーもまさにイチローと異口同音、口癖のように

    「DAY BY DAY」とあるいは「ONE DAY AT A TIME」とグループの皆に話していたのです。

    ハリウッドという特殊な世界に住んでいる人たちと、大阪市の行政関係者、鉄鋼、造船、金融機関など、文字通り異文化を背負った人たちの集まる寄り合い所帯をまとめていく仕事は大変でした。

    USJが開業にこぎつけるまでのエルダーと共にした準備期間5年の苦労は並大抵のものではありませんでした。

    2001年3月31日のオープニングにアーノルド・シュワルツネッガーを迎えたときの感動がその苦労のすべてを忘れさせてくれたことを今更のように懐かしく思い出します。

    開業2年目につまずいて、またどん底から立ち上がるのに年月はかかりましたが、今では東京ディズニーランドを凌ぐ勢いになり、頼もしい限りです。

     

    一朝一夕で夢は叶いません。

    人は、自分の目標に向かって一日一日努力を積み重ねていくことで、人として成長し、やがては素晴らしい結果を生み出せるようになるのです。

    自分自身の可能性を信じて、まず今日を輝かせましょう!

    生徒たちは夏休みに羽を伸ばして気を緩めすぎず、しかしのびのびと多くを学んでほしいものです。

    2学期の始業式に元気な顔をみせてくれるのを楽しみにしています。

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