校長ブログ

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  • スーパーボランティア尾畠さんのニュースより

    今年の夏は猛暑、西日本豪雨等異常な気象が続いています。その中で、8月15日山口県周防大島町で3日間行方不明だった藤本理稀ちゃん(2才)を発見した尾畠(おばた)春夫さん(78才)のニュースは日本中を明るくしてくれました。

    この方のボランティア歴がすごい。2004年の新潟県中越地震以来、全国の被災地でボランティアを経験している。2011年の東日本大震災では、宮城県南三陸町で500日間の活動。2016年の熊本地震にも駆けつけている。今年の7月の西日本豪雨でも民家から泥をかき出す作業に参加している。

    尾畠さんの信条は、「助ける相手側に負担をかけないこと」。活動費は自分持ち。無償の行為である。理稀ちゃんを家族に引き渡したときも、祖父から風呂を勧められ、「そういうものはもらえない」と断っている。

    ボランティアを始めたのは65才のころから。「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい。」と思ったからだそうです。

    78才のおじいさんの夢は、家の事情で高等学校に進学できなかったので、「定時制高校に行き、勉強をすること」だそうです。たいへんな人が世の中にいるものですね。

    「何事も対岸の火事だと思わずに行動ができる人がもっと増えてほしい」

    尾畠さんの言葉に考えさせられました。

  • 甲子園

    今年も猛暑の中、甲子園球場では全国高校野球選手権大会が行われました。今年は第100回記念大会ということで、例年より多くの高校が参加して、連日熱戦が続き、多くの国民に感動を与えています。

    しかし、長い歴史において、約4年間の空白期間があったことは意外と知らされていません。昭和16年(1941年)第二次世界大戦の戦局が深刻化し、大会は地方大会途中で中断しました。甲子園球場も空襲を受けました。

    再開されたのは、終戦翌年の昭和21年(1946年)8月15日、甲子園球場のお隣の西宮球場で行われました。終戦後誰もが、失意にくれる中、ボールもグローブもなく、指導者もいない等さまざまな壁を乗り越えて、再び夢の舞台が開幕しました。その日の新聞の見出しは「青春いまぞ我らに、六年ぶり胸うづく感激」でした。どれだけ多くの国民がこの日を待ち望んでいたかがわかります。

    戦後73年、平和の大切さを改めて一人ひとりの生徒に知ってほしいと思いました。

  • 新年を迎えて!

    新年あけましておめでとうございます。

    私の東京生活も早いもので4年目を迎えます。

    そして麴町学園の教育改革も3年目となります。

    常に新しいことにチャレンジしていくことが学園の発展につながっていくことと信じています。

    今年も教員・職員一丸となって生徒たちのためにチャレンジしていきたいと思っています。

    今年もたくさんの年賀状をいただきました。

    その中で強く印象に残っている言葉を紹介します。

     

    1) 「時期尚早!」と言う人間は100年経っても必ず同じことを言う。「前例がない!」と言う人間は100年経ってもきっと同じことを言う。

    川淵三郎 BSTVでの発言

     

    2) 「ローマは1日にしてならず」されど「ベルリンの壁は一夜にして崩れた」

    朝日新聞

     

    3) その一言で励まされ     その一言で夢を持ち

    その一言で腹がたち     その一言でがっかりし

    その一言で泣かされる   ほんのわずかな一言が

    不思議に大きな力を持つ ほんのちょっとの一言で

    駅構内の壁広告

     

    2018年という年が、皆さまにとって最良になりますように!

  • 夏休みになりました

    本学園では1学期が終わり、「三者面談」、「大学進学フェア」を行いました。
    そして、いよいよ夏休みを迎えました。
    私も学生の頃には、
    長期休みの前になると、指折り数えたものです。

    学校の中だけでは学べないことが、
    外に出るとそこらじゅうに転がっています。
    生徒のみなさんにも、
    夏休みにはいろいろな経験をして欲しいと思います。

    部活動にも、遊びにも、勉強にも、海外研修にも、
    何事にも一生懸命に。
    この夏休み、みなさんが何を得て、何を学んできたのか、
    それを聞かせてもらうのが、2学期最初の私の楽しみです。

    みなさん、しっかりと計画を立て、体調管理をしながら充実した時間を過ごしましょう。
    ひとまわり成長した姿で登校してくれることを、
    教職員一同、楽しみにしています!

  • 「クラブ活動を楽しみましょう」

    学園生活の中で、ぜひクラブ活動を楽しんでください。体育クラブ、文化クラブ、同好会を含め、参加してください。同じクラスの友達も楽しい仲間ですが、クラブ活動を通じて得る友達、先輩、後輩も得難い一生の仲間となります。そして、その活動を通じて、勉強とはまた一味違った達成感を得る面白さ、喜びを得ることができます。

    どんなクラブ活動であれ、団体で行うものも個人で行うものも、クラブである以上は「人の集まり」つまり “Team” です。同じ目標を共有した者同士が協力し合うことは、教室での学習とは違った楽しさを教えてくれるでしょう。

    「協調性」という言葉がありますが、これは「個」を抑えてまで、皆と同じように振る舞え、ということではありません。ラグビーで言われること(元はある学者の言葉)ですが、” One for all, All for one” という言葉があります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。この言葉を聞くとき、そこに含蓄されているものは「信頼」という、チームの一体感、つながりであると感じます。クラブ活動を通じて、そうした「みんなで一緒に、一つの目標を目指す」という真の「協調性」を体感し、そしてそれを身につけてください。

    また、そのためには当然、一人一人の努力が大切になってきます。例えばバレーボールですが、まずサーブから始まり、そのサーブをレシーブして、チームのコントローラーであるセッターにできるだけ良いボールを戻すことから、チームの全員が「攻撃」という同じ目的をもった行動に入ります。もし、レシーブのボールが反れたら、ほかの誰かがそのボールを捕るために動きます。みんな、ボールを上手くレシーブするために、また、仲間のプレーをカバーするために練習します。

    スパイカーもブロッカーもみんながつなぐボールを相手のコートに落とすために、一人一人が練習を積み重ねて技術を高めていきます。これは少々古典的な運動生理学かもしれませんが、練習と技術の向上は一直線の正比例の形とはならず、階段型の上昇曲線を描くそうです。つまり、いくら練習しても上手くいかない踊り場のような時期が続き、それでも練習していると、ある時「それができる」ようになるということです。その時、「あっ、できた!」という達成感が味わえるのです。

    自転車で経験ありませんか。なかなか一人で乗れなかった自転車に、気が付いたら一人で乗れていたでしょ。

    スポーツだけではなく文化クラブでの活動でも同じ楽しさを体感できますよ。習字でどうしても上手く書けなかった文字が、ある時、スッと筆が運べて書き上げられる瞬間。

    はい、ここでも同じことを言います。「そのためには、具体的な目標を持った、継続の力が大切です」と。

  • 「具体的な目標を持つことが、確実な一歩へとつながる」

    どんな日常の些細なことでも、具体的目標を持つかどうかでその成果は変わってきます。例えば、バスケットボールをやっている人が、「シュートが上手くなりたい」という大雑把な目標を持っていても、それでは「何をもって上手くなった」といえるのかが漠然としてしまいます。例えば、「フリースローが10本中8本は入るようになりたい」と、数値的な目標を持てば、それが達成されるまで練習し、やがてはその成果を得る日が必ず来ます。

    プロやアマを問わず、運動選手は具体的なスコア(数字)を記録し、その達成に向かって練習します。具体的な目標、数値的な目標がなければ、練習の成果である「目標達成の瞬間」がどこにあるのか分からないままとなるからです。

    英語の勉強を例にとれば、「英語が上手くなりたい」といった漠然としたものは「願望」ではあっても、方向を持った「目標」、ターゲットとはなり得ません。その願望に行き着くためには、具体的な目標がなければなりません。例えば、「今から三ヶ月で、英単語を1,000語覚える」といったように、まず当面の数値化された目標を立てなければ、目標に対する達成度が分かりません。自分が、今どれくらいの位置にいるのか、計りようがありません。

    “Milestone(マイルストーン)”という言葉があります。もともとは、1マイル(約1.6km)ごとに道路に設置される標識のことですが、スケジュールの重要な節目を表す言葉でもあります。例えば登山の時、登頂のためのスケジュールを立て、「いついつまでにはここまで」と細かなキャンプの予定を立てていきます。それが、目標達成のための重要なマイルストーンとなるのです。

    英語やスポーツ、趣味、何でもいいのですが、ただ漠然とやるのでは「達成感という面白さ、楽しさ」を感じることはできません。まずは、当面の目標を、数値で立ててみましょう。そこまでたどり着けば、今度は次の目標。マイルストーンを辿って行けば、いつかは最終的な目標に到達できます。

    ただし、途中のマイルストーンで満足してはいけません。前回と同じことを言いますが、次のマイルストーンを目指して前に進む「継続」が大切なのです。

  • 「継続は力なり 学問に王道は無く、あるのは基本」

    “There is no royal road to learning.” (「学問に王道無し」)という言葉があります。まさにその通りです。学問には、王様に用意された近道や安易な方法などありません。つまり、「学ぶ」ということは万人に平等なのです。

    その基本は「継続」です。分からないからといって、途中で諦めたり、投げ出したりしては永遠に「理解」はできず、「学ぶ」ことから得る成果は期待できません。実に当たり前のことなのですが、それを実践することはとても難しいことです。

    しかし、「無理をせず」、同じペースで、コツコツとやっていけば、それがたとえ数cmであろうとも「前に進む」ことはできます。それを「努力」とも呼びます。成長するためには、必ずしも競争のように無理をすることが有効ではないのです。なかには、競争すると強いという子はいますが、マイペースでやっていくことでその学力を堅実に伸ばしていくタイプの子もたくさんいるのです。

    私の趣味が登山であることは以前の記事で書きましたが、若かりし頃、重い荷物を背負って山に挑みました。同じ山に登る人でも、軽装の人がいます。そういう人を見かけると、「山を甘く見ない方がいいですよ……」と、心の中でつぶやいてしまいますが、とはいえ相手は荷物が軽いわけですから、当然、追い抜かれてしまいます。こちらは重い荷物であっても、黙々と山道を登り続けるだけです。

    そして、頂上に辿りついたときには私の方が先に着いていた、ということが実は多いのです。それは何故でしょうか。軽装の人は早く登りすぎて、途中で疲れて休んでしまいます。こちらは、重い荷物ですからとにかく自分のペースでひたすら登っていきます。つまり、コツコツと進むことが結果につながるのです。まさに「ウサギとカメ」の話と同じです。

    少しずつでも「前に進む」姿勢。「継続は力なり」。少々古びた感のある言葉かもしれませんが、信ずるに値する不磨の言葉です。

  • 「百十周年に当たっての想い」

    世の中には様々な学校があり、その中には「名門校」といわれる学校があります。往々にして「進学状況」を基準に語られますが、それでは「名進学校」といったほうが妥当ではないでしょうか。

    私は長く私学に関わってきましたが、私立の学校には「創設者」がおられ、そこには必ずその学校創設への「想い」があります。それが「建学の精神」です。

    その「建学の精神」によって創設された学校は、その精神に沿った教育を連綿と引き継ぎ、それがまさに「伝統」となり、その中で「学校の個性(特長)」なるものが強く醸成されていきます。

    麹町学園は大築佛郎が明治38年(1905年)に創設し、その建学の精神は「聡明、端正」。そして、「社会の中で自ら輝く女性を育む」という考えは、明治という時代にあっては相当に近代的で先進性のある「想い」であったと言えるでしょう。

    私が麹町学園の校長を拝命してこの学校を訪れ、「聡明、端正」という建学精神を知った時、まず強く感じた事は、そこに、110年も以前の明治という一大パラバイム(価値観)転換の時代に、生徒一人一人の「個性」を大切にし、社会の中で「自立した女性の力」を育むという、まさに現代へとつながる先見性です。

    前回の記事で、日本の「百名山」について書きました。名山とは「品格」「歴史」「個性」を兼ね備え、見る者、登る者にそれを強く想わせる山々であり、決して「高きが故に」ではありません。

    麹町学園は、その建学の精神に「品格」を掲げ、110年という、日本が途方もないほどに短期間で激動した時代を「歴史」として持ち、生徒一人一人への目配りを怠らない「個性」を育むという教育を堅持し、それがまさに麹町学園の「個性」ともなっています。

    「品格」「歴史」「個性」を兼ね備えた麹町学園。その矜持を持ち得る学校です。建学の精神に培われた揺るぎない今の姿に、ここから始まる新たな歴史への「想い」が湧き上がります。「百名山」を登る時のように。

  • 「東京の生活も早三ヶ月 関東と関西の違い」

    この4月に麹町学園の校長を拝命し、護国寺に居を構えて3ヶ月が経ちます。これまでは関西で長く教鞭を取り、教頭、校長、理事を務めてきました。生まれも育ちも大阪で、いわゆる「コテコテ」の大阪人です。

    それがご縁あって東京の生活を始め、改めて「関西と関東」との違いというものを感じる事ができました。これまでは「お笑い」やエスカレータでの並び方(関東では右側を開けますが、関西は左側を開けます)などでその違いを感じた事はありますが、実際に東京で生活をしてみて、そんなことよりももっと根本的な所にある違いに気が付きました。

    それは、「関東、とりわけ都市部(東京)の人たちは、上品で辛抱強い」ということです。お断りしておきますが、では関西の人が「下品で、気が短い」という予定調和的な対比ではありません。

    とにかく、関東の人はおしなべて「辛抱強い」。「我慢強い」と云ってもよいかと思います。それに比べれば関西の人は「せっかち」です。

    身近すぎる例かもしれませんけど、例えばレストランなどで注文した料理というのは直ぐに出てくるものではありません。大阪などでは、料理が出てくるまでに数回は「まだ?」と催促をします。東京の人は黙って待っています。大阪の方が注文したものが出て来るのに時間がかかる、という訳ではありません。まあ、遅い所は遅いのですが、東京の人はそれでも催促することなく待っている人が多い。

    その違いはどこから来るのでしょうか? 

    深く考えることでもないのかもしれませんが、データはありませんので経験則ですけど、関西の人は大方がもともとから関西に住んでいる人が多く、関東の人は色々な地域から集まってきた人たちが大都市の中で暮らしています。その中で「我慢」という力を養うのでしょうか。

    それはひとつの「共存」のあり方なのでしょうか。関西の人は何だかんだと言っても「同じような生活様式、価値観、土地勘」などを共有しています。しかし、関東ではそれが様々であり、「我」を通せば思わぬコンフリクト(衝突)を起こしかねません。

    こちらのバス停でキチンと並んでいる人たちを見るとそう思います。関西の人は「並ぶ」のと「待つ」のが苦手で、早い者勝ちのような所があります。

    実はこれ、先だっての「麹町学園体育祭」で、生徒たちや教職員たちのストイックとも呼べる姿勢を見て、やはりそうか、と思った事です。

    私の「感動」の底には、そんな思いがあったのでしょう。

  • 「やはり少しはあります 第六夜に思うこと」

    先に夏目漱石の「夢十夜」の「第六夜」について触れ、この作品を深読みはしていない旨、書きましたが、やはり少しはあるのです。

    決して、深読みの類ではないと自分では思っているのですが、自分なりに感じた事は確かにあります。

    先の記事を書き終えた後、少しウズウズし始めましたので、書きます。当然、大文豪相手に書評などをやろうと云う気持ちなど毛頭ありませんので、素直な「感想」ということで…。

    あの作品の結びなのですが、「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」とありますが、その前に主人公(漱石自身)はいくつもの木を片っ端から彫っています。そして、不幸にしてどの木にも仁王は見当たらなかった。

    私はこの件(くだり)に、明治という時代の気分を強く感じたのです。

    主人公がいくつもの木の中に仁王を探しますが、ついに「運悪く」掘り当てることはできませんでした。

    この「木」とは「これから如何様にも形作られる素材=未来」であり、そこに何も見えないというのは明治という時代が、どれほど急旋回を図ったかということを表しています(と思います)。

    仁王を「古き日本の姿」とすれば…。しかし、時代は、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」にあるように、「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」時、まさに坂の上に漂う雲、「近代化」を求め、「それまでの日本」、つまり後ろなど振り返らずひたすらに坂を登って行こうとします。ですが、その坂の上に「近代日本」の姿を描く事は至難のことです。いつまでも雲は遥か遠くに浮かんでいます。

    明治とは、「木(素材)」という未来の中に、かつての姿を振り返ることなく、未知の世界を尋常ならざる思いで描こうとする時代です。

    漱石が作品の中で言う「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」というのは、そういった時代の空気を表しているのでしょう。

    「それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ分かった」というのは、それまでの伝統を振り切って「近代化」「脱亜入欧」を図る日本の姿への「皮肉」なのでしょうか。それとも、まさに「不易流行」という、常に改革の中で作られる伝統ということへの「複雑な思い」なのでしょうか。

    悩まず、迷わず「前に進む」のは決してたやすいことではありません。

    私が、この話に強い印象を持ち続けているのは、その思いに共感したからなのでしょう。極々、自然にそう感じました。

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