理事長ブログ

BLOG

  • 3月に思う(2)

    学園の安心・安全

    1995年1月、阪神淡路大震災の折、私はハノイに駐在していました。

    次々に送られてくる映像には大勢の方々が犠牲になった様子や、建物、インフラが破壊された痛ましい光景が映し出されていました。

    1996年年ハノイでの勤務を終えてその足で、住友商事からUSJの開業に向けて役員として出向しました。

    USJは2001年3月31日にオープンしました。

    USJは経営上の問題が当初からあり、食料品の賞味期限の塗り替え、火薬の不正取扱い、飲料水と工業用水のつなぎ違いなど次々と不祥事が発覚して、メデイアの格好のターゲットになりました。日ごろからのメデイア対策の欠如も一因でした。

    私は開業する前には運営・企画にたずさわりましたが、ここで、念頭においたことは、ゲストの安心安全のプログラムです。

    2005年にUSJを退職して麹町学園の経営にあたることになり、まず、取り組んだことの一つが、生徒、教職員の安心・安全体制でした。先にお話したイランやUSJでの経験もふまえ、2007年に“大震災マニュアル”の初版を作りあげました。

    作成にあたっては、阪神淡路大震災を経験された方、消防、また、女性の視点なども伺った上で備蓄品も同時に揃えはじめたのでした。

    基本的な考えは、非常事態のもとでは、“生徒、教職員は安全が確認されるまでは学校にとどまる”という原則です。

    そのために何が必要か?を考えたときに、これまでの経験が大変参考になったのでした。

    2011年3月の東日本大震災の時には大きな混乱もなく600人の生徒教職員が学校に居ました。

    迎えにこられた保護者と帰宅した生徒以外、全員翌日の昼過ぎには無事帰宅を確認しました。

    今では備蓄品の内容、量も充実、マニュアルも何回かバージョンアップされて、教職員、生徒、保護者に配布されています。

    大きな災害や事故は決して起こってもらいたくないですが

    備えあれば憂いなし

    これからも麹町学園は教育面での充実はもとより、生徒・職員のため安心・安全の取り組みについては引き続き力を注いでいく所存です。

     

  • 3月に思う(1)

    学園の安心・安全

    毎年この時期になると思い出すことがあります。

    今から31年前になりますが、1988年私はイラン住友商事社長としてテヘランに駐在していました。

    2月28日に一時帰国して東京で関係の部との打ち合わせをしていた時「テヘラン事務所から国際電話です」と呼び出され電話にでたところ、「市内で大きな爆発があった、どうやらミサイルらしい」とのことでした。

    私はとりあえず駐在員全員を平時から確保していたカスピ海の避難所(別荘)に移動するよう指示しました。

    そして私は早速3月3日にイラン航空で東京からテヘランに帰任する手配をしました。

    北京経由の直行便で所要時間約17時間、このフライトに非常時ということで日本航空の河野支店長が乗っておられました。

    乗客は2人でした。

    それから4月20日頃までイラクによるスカッドミサイルの攻撃が連日にわたり続きましたが私自身はテヘランにとどまり、駐在員の脱出作戦にあたり、3月20日には全員脱出、帰国してもらうことができました。

    事務所や現地スタッフの今後の事など一連の仕事を済ませ私が帰国したのは4月10日です。その間約一ヶ月の経験が

    今も役立っていることをすこしお話したいと思います。

    テヘランにおいては平時からあらかじめリスク管理を行ってはいましたが「、いざとなったらどうする?」ということを念頭に非常事態体制を構築しておく重要性をさらに身をもって感じることができました。

    当時を思い出しますと、脱出用の航空券、現金、食糧はもとより、ガソリン、電源、スペアタイア、最後は毒ガスの攻撃に備えて、つなぎの防護服までとりよせました。

    幸い全員無事に帰国、イランはその年の7月に終戦となったのでした。

    このような恐ろしいことが平和な国、日本で起きるべくもありませんが、この経験を活かし、平時から災害や事故に備える必要があると痛切に感じたことは確かです。

    麹町学園にきてからは、ご家族にとってかけがえのないお嬢様たちをお預かりしているという事を考え、まず生徒・職員の安心安全の面についてしっかりと取り組みました。

    さて毎年、この時期に、当時の駐在の仲間(戦友?)とは六本木のイランレストランで集まり、今となっては懐かしい思い出話に花を咲かせています。

    次にもうすこし詳しく学園の安心安全面に力を注いだお話をしましょう。

  • おかえりなさい!

    1月14日の午後、麹町学園アリーナ7階のスカイスタジオは百花繚乱、卒業生たちの賑やかな成人式会場となりました。

    新成人たちは思い思いの出で立ち、髪はセットされ、カラフルな振袖やドレスを着て、お化粧もしています。

    ブレザーにスカートの制服姿だった頃が想像できない程、まさしくおとなの女性になって母校に帰ってきました。

    恩師や久しぶりに会う友達と会話がはずみ、同窓会差し入れのサンドイッチと飲み物を手に楽しいひと時をすごしました。

    同窓会といえば昨年7月には卒業生を対象に初めて「ホームカミングデイ」と称する集まりを実行しました。

    今年は第2回のホームカミングデイを学園祭に合わせよういう案もあるようで、まもなく刊行される同窓会の“そののわかな”に詳細が掲載されます。

    たくさんの人たちが集まり旧交をあたためられますように。

     

    私は校長を兼任していた当時から、卒業する生徒たちにはいつも“行ってらっしゃい!”と言って送り出すことにしています。

    20歳になると、おとなとして認められると同時に多くの自己責任も生じます。

    また数年後、大学、専門学校を卒業すると、社会に出るみなさんは世の中の厳しさに出会い、心折れる日もあるかもしれません。

    苦難に負けず、それぞれの夢に向かって高く羽ばたいてほしいものです。

    麹町学園での日々をなつかしく思い出す日がきっとあることでしょう。

    どうぞいつでも麹町学園に「おかえりなさい!」

  • Bon Voyage!

    AFS留学生スロベニアからやってきたVIKIが麴町学園での約9か月の学園生活を終えて帰国の途につきます。

    高校1学年の東洋大学グローバル(TUG)コースの梅組に入っていました。

    部活動ではバレー部、また課外では筝曲をと言う希望でレッスンをうけたり、すべてに積極的な姿勢が見られました。

    一般的に欧州の人達は母国語以外にも複数の言葉を身につけることが多いのですが,VIKIはスロベニア語以外にも、スペイン語も話せますし英語についてはネイテイブと思われるような実力の持ち主で、英語の授業では、クラスメートに発音など教えるほどでした。

    短期間で日本語会話もかなり上達し、語学に対する天性の持ち主という印象を覚えたのでした。

    29日にインターナショナル・ラウンジ(I-LOUNGE)でVIKIを囲んでさよならパーテイ―がありました。

    最近設置されたカラオケのセットでかわるがわる”英語の歌“を歌って盛り上がりました。

    このカラオケセットは「外国語は歌で覚えるのも有効だ」との私の思いもあって導入されたので、I―LOUNGEでは、生徒たちは”英語の歌”しか選曲できないルールとなっています。

    やがて先生たちも登場して盛り上がりました。

    生徒の中には、発音もしっかりしていて音程の確かな歌い手がいて頼もしく思いました。

    2018/ 1/29 15:53

    31日がVIKIにとって最後のホームルームだったので、私は送る言葉を伝えに行きました。

    麹町学園での経験は代えがたいもの、生涯の財産です。麹町のファミリーの一人としてあなたは母国の空に位置する麹町サテライトです

    と結びの言葉としました。

    VIKIのこれからの活躍を皆で祈っています。

    BON VOYAGE!

  • 「今日から2学期」

    今日から2学期がはじまりました。

    始業式で校長は“二度と戦争の無い平和な社会を”という話をされました。
    私はその話を聞きながら、住友商事のイラン支社長をしていた約30年前のことを思い出しました。

    毎日、毎晩イラクによるスカッドミサイルの攻撃の最中ですごしました。
    空襲警報がラジオで流されると、ヘルメットをかぶって地下室に避難するのですが、8、9分で着弾するか、警報解除となるかといった緊張の日々を送っていました。

    ちなみに今、北朝鮮が装備しているのはその改良型もあり、もっと高度なミサイルの開発にも成功していることは周知の事です。イランに駐在する前、イラクのバグダッドに石油の契約のために出張した時には逆にイランが攻撃したスカッドミサイルも体験し、その破壊力を目のあたりにしました。

    その時の経験やUSJでの安心安全対策が、麹町学園にきてから、防災の体制作りに役に立ったと言えます。

    災害は決して来てもらいたくはないけれど非常時に備えての対策をきちんと考えておくことは平時だからこそ必要です。

    始業式のあとに、バイリンガルコメデイアンの“かおり”さんが全校生徒に話をしてくれました。
    国内、海外でも活躍してきましたが、文字通りグローバルな人です。
    英語もさることながら、何を話すかしっかりと自分自身の考えをもつことの大切さも語ってくれました。

    放課後に7階から地下のアリーナまで歩いてみましたが、部活動が各所で行われていました。

    学園祭の準備などイベントの多い2学期です。
    秋の夜長ですから、生徒たちはもちろん、勉強にも時間を割いて、充実した生活を明るくのびのびと過ごせればよいなと改めて感じました。

    健康第一ですね。

  • 「ハナミズキ」

    ハナミズキ

    麴町学園通りに面した植栽に薄紅色のハナミズキの花が咲き誇っています。

    “ハナミズキ”は1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄がアメリカのワシントンに桜の樹を送ったお返しとして、1915年にアメリカから日本に送られたという話が有名です。アメリカではノースカロライナ州とバージニア州の花になっています。

    さて1970年から6年住友商事のニューヨーク事務所に私が駐在していた時のお話です。私はニューヨークから飛行機で3時間ほどの、ラーレイ市によく出張していました。アメリカ企業とは肥料原料のリン鉱石の取引をしていましたが、積み出しはモアヘッドシテイーという港より、そしてその窓口部門はノースカロライナ州の州都のラーレイ市にあったことからです。

    これは大規模な商談でしたが、他方、日本向けのチキンや欧州向けのウナギの輸出などの取引をした会社があったことも思い出しました。

    ノースカロライナはアルコール飲料についての規制が厳しい州のひとつでした。お酒は“リカーライセンス”を持っていれば,街のリカーショップで買えたのですが、レストランなど外食店でのアルコールの提供は制限されていました。

    この制限に対応して”ブラウンバッギング“と呼ばれていたレストランで飲酒ができるという方法がありました。簡単に言えば持ち込みOKのレストランです。自分の好みのお酒(ウィスキー、ジン、ウオッカなど)のボトルを茶色のペーパーバッグに入れて持ち込み「セットアップを」とウエイトレスに頼むと、氷や水、グラスをだしてくれるというあんばいです。

    またノースカロライナ州は東海岸にあって、ラーレイ市の近くにはパインハーストという歴史的にもゴルフで有名な地域もあります。ゴルフ場には随所に、そして取引先の重役の邸宅にもハナミズキが植えられていました。

    美しいハナミズキの花を見ると当時の思い出がよみがえります。

    ツツジやがてハナミズキの足元に咲き始めたツツジの花に主役を譲る頃です。

    こうして道行く人々にも彩りと癒しを与えてくれる花々に見守られて、麹町学園では今日も生徒たちが元気に学んでいます。

  • 「百花繚乱」

    新年は穏やかなお天気にめぐまれました。2017年成人の日

    1月9日の成人の日

    2年前に卒業した新成人たち110人が麹町学園に帰ってきてくれました。

    あでやかな晴れ姿はまさに百花繚乱!

    ご家族のみなさまもさぞお慶びのことでしょう。

    麹町学園では、同窓会が準備してくださったお茶と軽食で新成人を迎えることが今では成人の日の恒例行事となりました。

    当日午前中は雨模様でしたが、午後には雨も上がり、晴れ着を汚す心配もなく過ごすことができました。

    新成人の卒業生は私が校長を兼務していた時に入学して、6年後、2回目の校長兼務のときに卒業証書を手渡した生徒達です。

    入学してきた時は幼さを残していた生徒の成人した姿を見て私も感無量となりました。

    日本の新成人の人口は123万人との推計となり、新成人の数は去年2016年と比べると2万人増えたということです。

    それは喜ばしいことですが、昨年に続き7年連続で総人口に占める新成人の割合が1%を割り込むことも確認されているそうです。

    新成人は日本という国の未来を担う大切な宝物でもあります。

    学園のカフェテリアでの彼女たちのおしゃべりの様子がまた圧巻で、友達同士はもちろん、ひさしぶりに会う恩師ともすぐにうちとけて話が弾んでいました。

    学校という場に身を置くものとして、このように将来有望な若人たちの成長を見守ることができる喜びを改めて感じた成人の日です。

    私は「また、いつでも麹町学園に帰って来てください」と声をかけて卒業生を見送りました。

  • 「DAY BY DAY」

    DAY BY DAY

    7月20日は1学期の終業式でした。

    山本校長は、挨拶の中で“ひとつひとつの積み重ねが、大きな結果につながる”というイチロー選手の言葉を引用されました。

    ビジネスの世界と学校生活はかけ離れていますが

    つい私は企業で仕事をしていた時のことを思い出してしまいました。

    私がUSJに居た時、マーケテイング本部長のMR.エルダーもまさにイチローと異口同音、口癖のように

    「DAY BY DAY」とあるいは「ONE DAY AT A TIME」とグループの皆に話していたのです。

    ハリウッドという特殊な世界に住んでいる人たちと、大阪市の行政関係者、鉄鋼、造船、金融機関など、文字通り異文化を背負った人たちの集まる寄り合い所帯をまとめていく仕事は大変でした。

    USJが開業にこぎつけるまでのエルダーと共にした準備期間5年の苦労は並大抵のものではありませんでした。

    2001年3月31日のオープニングにアーノルド・シュワルツネッガーを迎えたときの感動がその苦労のすべてを忘れさせてくれたことを今更のように懐かしく思い出します。

    開業2年目につまずいて、またどん底から立ち上がるのに年月はかかりましたが、今では東京ディズニーランドを凌ぐ勢いになり、頼もしい限りです。

     

    一朝一夕で夢は叶いません。

    人は、自分の目標に向かって一日一日努力を積み重ねていくことで、人として成長し、やがては素晴らしい結果を生み出せるようになるのです。

    自分自身の可能性を信じて、まず今日を輝かせましょう!

    生徒たちは夏休みに羽を伸ばして気を緩めすぎず、しかしのびのびと多くを学んでほしいものです。

    2学期の始業式に元気な顔をみせてくれるのを楽しみにしています。

  • 「花の競宴」

    160323モクレン160323サクラ麴町学園通りに面した植栽のモクレンが、蕾を次第に膨らませていましたが、気が付けばそれが咲き乱れ、モクレンの白とブルーの風力・太陽光発電装置の羽の色とがマッチして、うっとりと見上げてしまいます。

    通りすがりの人たちも思わず足を止めて、見事なその光景に目を向けて行きます。

    毎年のこととはいえ、春を忘れずに咲く花たちはその都度、人の気持ちを新鮮にしてくれます。

    そして、学園の玄関前の桜も蕾から開花へと向かいます。この春の息吹ともいえる景色は、麹町学園の女子校としてのたたずまいに文字通り花を添えてくれます。

    3月24日が終業式と中学卒業式で、この頃にはモクレンから桜へと景色の主役が交代します。

    13年前に4本の桜の若木を選んで植樹した時には、4月の入学式(今年は4月9日)の頃に満開になる品種を選んだのですが…。

    地球温暖化の影響でしょうか、年々開花の時期が早くなり、今年も、満開が4月初めとなり、中学卒業式と入学式の狭間の満開ということになりました。昨年もそうでした。

    とはいえ、桜の絨毯が新入生を迎えるというのも、趣のある風景です。

    人の心をいつも和ませてくれる花を眺めながら、ふと、祖父が学園創立にあたり、クラスの名前を木や花の名前にしたことに思いが至り、そこには当時の女子教育に込める祖父の思いがあったことと改めて感じました。

    桜、菫、竹、藤、菊、葵、楓、萩、松、蘭…。いずれも一文字。

    どの草木も凛として鮮やかな姿を見せてくれます。

    新年度には、それらの草木の名が各教室に英語で表示されます。

    麹町学園の歴史がその趣を新たにし、教室に学びの花がいっぱい咲くのを楽しみにしています。

  • 「麹町のサテライト2」

    1月30日に恒例の「英語レシテーション大会」が行われました。

    「レシテーション:Recitation」とは「暗唱」「朗唱」といった意味で、生徒が英文を暗唱することです。

    単に丸暗記ということではなく、何度も何度も口に出して練習することによって、その英文の意味も深く理解し、自分自身のスピーチであるかのように「暗唱」できるようになることが狙いです。

    英語のセンテンスを「かたまり」として話す事で、英語独特の抑揚、リズムを覚えることができます。

    麹町学園では中1から高2までの各クラスで予選をして大会出場の代表者を選び、コンテスト形式で、全校生徒の前で発表します。

    生徒たちのレシテーションを聞いていて、私が何よりも嬉しかったのは、全体的に生徒の英語のレベルが、この数年でめざましく向上し続けていることを実感したことです。

    さすが、各クラスの代表。甲乙つけがたい出来栄えです。審査を担当した英語科の先生、ネイティブの先生たちも、順位を付けるのに苦労されたこと容易に想像できます。

    最後にAFS留学生として来日しているオーストラリア人のアーリエルさんが、流暢な日本語でスピーチをしました。英語と日本語でのエールの交換のようです。

    麹町学園で10ヶ月を過ごし、まもなく帰国するアーリエルさんにとっていい思い出作りの1日となったことでしょう。

    麹町学園では私の方針のひとつとして、生徒を留学生として海外に送り出すことはもちろん、海外からの留学生受け入れを積極的に進めてきました。学園にいながらにして、生徒たちが日常的に「小さな国際交流」を図れるようにとの想いからです。

    これまでに、フランス、カナダ、オーストラリアから、そして、今年はタイからの留学生が間もなく麹町学園にきます。

    そういえば昨年の秋にもタイの中学生グループが学園を訪れ、生徒たちと歌や踊りなどの文化交流を行いました。

    お土産にいただいたタイの民芸品をI-Loungeに飾ってあります。

    ちなみに、この部屋は3階にある305教室でインターナショナル・ラウンジ=I-Loungeとして異空間の部屋に改修したものです。そこにカナダ人のマルティナ先生が常駐して、放課後、生徒たちとのゲームや映画鑑賞を通じ、楽しい英語レッスンをする場となっています。

    高校2年生の1年間、私もアメリカに留学をしました。

    麹町の生徒と同世代の時の経験が、今でも私の心の財産となっていることから、みなさんにも異文化交流の機会を沢山持って頂きたいという想いが強いのです。

    さて、これまでに麹町学園の生徒たちと交流してきた留学生たちは、きっと明るい麹町学園のファンとなり、日本のファンになって母国に帰ったことでしょう。

    麹町学園から各国に羽ばたいた生徒たちも含めて、留学生たちは世界中でサテライトとなって麹町学園、そして日本への理解を広めてくれると信じています。

1 2 5