学校の歴史
Chapter9

学園紹介Guide

1961~1965(昭和36~40年)

プールと視聴覚教室・大講堂の完成

完成したプール

1962年(昭和37年)8月、都内でも珍しい長さ25メートル幅10メートル、付帯設備の完備した屋内プールが完成し、体育の授業に水泳が取り入れられるようになった。

1963年11月、北側校舎の5階に4教室と視聴覚教室を増築。これは高校生急増対策の一環として、国の方針に従い、収容力の増加を図ったものである。

完成した視聴覚室と大講堂

同年12月にはプールの上の2階・3階に大講堂が完成した。収容人員は約2,000名、暖房や舞台装置はもちろん、暗幕・換気・音響・映画装置などがすべて機械化された近代的施設である。また、日常は体育施設としても利用できるよう設計された。

大築理事長・校長が勇退。森数樹が理事長、山下重二が第4代校長に就任

1964年5月、高齢の大築理事長・校長が勇退して学園長に就任。代わって、森数樹理事が理事長に、山下重二副校長が第4代校長に就任した。

大築学園長の寿像を設置

寿像

1964年10月、60周年記念事業のさきがけとして、85歳になった大築学園長の寿像(レリーフ胸像)が造られ、新設の講堂壁面に設置された(10月30日に除幕式)。寿像は、校章である葵の葉形を台座とし、その上にブロンズ像を収めたものである。作者の加賀山敬二氏は東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科を出られた肖像作家で、18回卒業生戸田千代さんの夫でもある。この寿像は現在、校舎1階中央の壁面に移設されている。

大築学園長が勲四等瑞宝章を受

1964年11月3日、大築学園長が、長年の女子教育の功労により勲四等瑞宝章を授与された。同月14日、学園講堂で叙勲の祝賀式と祝宴を行う。

ベーゼンドルファーのピアノを購入

ベーゼンドルファーのピアノ

1965年、60周年記念式典を前にして、ウイーンからベーゼンドルファー社製のピアノが到着した。このピアノは1963年に完成した講堂の付帯設備の一環として購入されたもので、モダンなデザインと朱塗りの色彩が目を引く。ベーゼンドルファー社は1823年創業の歴史と伝統を誇り、月産12台というピアノは手工業的な芸術作品とされている。その特徴はやわらかく深みのある音色の美しさだが、学園のピアノは、その中でも殊に貴重なブリュッセル型と呼ばれるものである。このピアノは現在も大築アリーナの舞台に置かれ、各行事の際に利用されている。

60周年記念式典

60周年記念式典

1965年10月28日、創立60周年記念式典が新設された講堂で華やかに挙行され、生徒約400名にPTA、同窓会、後援会など約700名が参加した。60周年記念学園祭は、10月30日に東京体育館で体育祭が、11月1日には前夜祭(4日に後夜祭)として学園校庭にやぐらを組んで盆踊りが、2日・3日には学園講堂において演劇発表と校内展示が催された。当時は、運動会と文化祭を総称して、学園祭と呼んでいた。運動会のプログラムをひろってみると、中学生は「幸せなら手をたたこう」「オースザンナ」を全学年で行った。高1は有志による「タンブリング」という組み体操、高2は先生を歴史上・文学上の人物や、童話の主人公に変装させる「着せ替え」、高3は白手袋に制服で、日大吹奏楽部の演奏により行進する「プロムナード」などが行われた。

また、高2・高3の「麴町音頭」は日本情緒ゆたかに、花笠や浴衣に赤や黄色の帯を締め、赤い鼻緒の草履を履いて民謡を踊った。応援合戦は、紅白対抗からクラス対抗となり、クラス別にカラーを決めて工夫を凝らしていた。

60周年の記念品として、保護者および学園関係者に益子焼の花瓶が、また表彰者には七宝皿等が配られた。

なお、1965年の学園の学級数と生徒数は、36学級、生徒合計は2,016名である。中1・中3は菊・竹・萩、中2は菊・竹で8学級、高1は松・楓・藤・葵・柏・桐・梅・桜・桂、高2は松・楓・藤・葵・柏・桐・桜・桂・杉、高3は松・楓・藤・葵・柏・桐・梅・桜・桂・杉で28学級であった。卒業生の総数も1万名を数えた。

卒業生の見た百年

中学1年、入部した水泳部は創部2年の手作りの部活だった。温水ではなかったものの女子校であることから、当時ではめずらしい室内プールが用意されていた。合宿も学校のプール、作法室、家庭科室を使わせていただき、顧問の佐々木栄祐先生に加え、湊先生の指導のもと、交代で食事当番をするという、今では考えられない果報にも恵まれた。6年間の練習漬けの日々、部活の仲間と何度となく交わした熱い思いは、今でも私の心の支えとなっている。苦しいだけの部活ではないものが、そこにはあった。
麴町学園で結び合った絆はこれからも大切に永く、幾方向にも結ばれていくことだろう。自らが珠玉の思い出をいただいている私の確信である。

Kさん(1970年卒)