学校の歴史
Chapter15

学園紹介Guide

1991~1995(平成3~7年)

大築邦雄学園長が逝去

1991年(平成3年)10月25日、大築邦雄学園長が逝去された。享年80歳。故人の遺志で葬儀は無宗教とし、学園葬は行わなかった。信濃町の千日谷会堂で、10月28日通夜、29日に告別式が行われ、12月6日、青山墓地に埋葬された。

学園の評議員、理事長、学園長として、誠心誠意学園に尽力し、専門の音楽美学や音楽史の研究でも活躍された。毎年広島の平和祈念式典で演奏される「慰霊の曲」は大築邦雄の作曲である。すべての学園関係者が深い悲しみを持って逝去を悼んだ。

新装の東京体育館で体育祭

新装の東京体育館での体育祭

1991年6月、新装の東京体育館で体育祭を実施。旧体育館改装のため、5年間は駒沢球技場での屋外体育祭が続き運営に苦労したが、新体育館では、大型の電光画面オーロラ・ビジョンを利用した、より華やかな体育祭が可能になった。

高校修学旅行を2年の秋に実施

高校の修学旅行は、1978年以来、3年の5月に西中国地方で実施されてきたが、1992年度から2年の11月に実施時期が変更になった。これは、進学準備の上で高3の1学期に修学旅行を実施することは適切でない、との意見が多くなったためである。

校舎内を改装

1993年夏、校舎内を明るくするため、1階・2階の廊下、プール、玄関ホールなど校内改装を行う。廊下の壁面は、中学がピンク、高校がグリーンと塗り分けられ、鮮やかな色彩が印象的だった。

カナダでの語学研修始まる

1993年、国際化教育を目指し、夏休みを利用したカナダ・トロント市ブランサムホール女子校での語学研修が始まった。実施当初は、希望者多数により高2を優先し、高1は抽選とすることもあった。

高校新教育課程実施

1994年度入学生から、高校新教育課程が実施された。本校における新教育課程の最大の特色は、コース選択制の導入で、高2から文系、理系、英語の3コースに分かれる。文系コースは文系科目を中心に幅広い進路に対応できるコースである。理系コースは数学・理科に重点を置いて理系大学への進学を目指し、英語コースは国際化に対応するため英語を重視するとともに4年制私立大学への進学を目指したものである。

オリエンテーション合宿を館山で

1994年5月、従来、九十九里で行っていた高1オリエンテーション合宿が宿舎改装のため、同じ千葉県の館山に変更して実施された。館山は砂浜が狭いため、浜辺を利用したプログラムの代わりに、近隣の体育館を利用しての体育的プログラムが中心となった。

新校舎「アネックス」が完成

新校舎「アネックス」の玄関

1994年7月、本校舎北西の旧体育館跡地に、地上3階・地下1階の多目的設備を持つ新校舎「アネックス」が完成した。地下にLL教室、1階にコンピュータ室、2階に演習室、3階に体育室が配置され、2階の演習室はAV機能を持ち、染色等の実習にも対応できるよう設備されている。

90周年記念学園祭

1995年10月7日・8日の2日間、校内で90周年記念の学園祭が行われた。特色ある展示内容にするため、7月に各クラスより委員を募集して90周年委員会を設け、「制服・模型・歴史」の3班に分かれて準備・製作に取り組んだ。「制服班」は戦時中のモンペ服や戦後のセーラー服を復元し、現在の制服や理想の制服についてのアンケートを行った。「模型班」は昭和初期の鉄筋と風見鶏校舎が並ぶ様子を模型で製作・「歴史班」は学校の歴史と歴代校長の似顔絵を展示した。学校から提供された二十数枚の大型パネル写真等も展示され、90年の歴史を偲ぶものとなった。

90周年記念式典および祝賀会

90周年記念式典

1995年10月26日、講堂で創立90周年記念式典が挙行された。午前は在校生を対象に、午後は来賓、保護者、同窓会、後援会等の方々を招いて実施され、午前の式典では生徒全員によるパッヘルベルの「カノン」の合唱、午後の式典では高校生による「地に平和を」の合唱が行われた。

記念祝賀会は、式典当日の午後5時より、第一ホテル東京で開催された。500名を超える参加者のため、4階・5階の両フロアを貸し切る形となった。メインゲストは、当代を代表する歌手であり同窓生でもある小林幸子さんで、「おもいで酒」ほかを熱唱すると会場は大いに盛り上がった。担任の浅川先生、原口先生と当時を振り返る印象的な場面もあった。

90周年の記念品として、学園関係者に校章を絵付けしたコーヒー・紅茶兼用茶碗皿が配られた。

なお、1995年の学園の学級数と生徒数は、36学級、生徒合計1,584名であった。